HY

メンバー
新里英之(ギター、ボーカル)
仲宗根泉(キーボード、ボーカル)
宮里悠平(ギター)
許田信介(ベース)
名嘉俊(ドラム)

HYは沖縄在住のバンドということもあり、やはり沖縄でのライブが多いです。
とにかくファンの質がいいということで有名です。

「ホワイトビーチ」は合唱することが多いので、練習していくのがおすすめです。
メジャーバンドのライブではなかなか出来ないような、ファンも一緒になったライブ作りが有名です。

例えば入場の時に受付で名前を記入して、それがライブの最後に「もう一人のメンバー」としてスクリーンに映し出されたり、HYファンクラブ会員の人たちが作ったポンポンが配られてライブ中に使用したりといった温かさの溢れるライブが好評で、MC中の方言も人気です。

バラード曲が中心かと思っている人も多いですが、激しい系の曲もたくさん組み込まれているのでみんなで踊るものも多いです。
一度行ったら癖になるという人が多く、何度も足を運んでいる人もかなりいます。
近くに来ないかライブ情報をチェックして、見逃しがないようにしましょう。

バンド名の由来

「HY」というバンド名の由来は彼らの地元、沖縄本島中部、うるま市の与那城「東屋慶名(ひがしやけな)」のイニシャルから来ています。

地元の沖縄で彼らの音楽が受け入れられたと同時に一気に大ブレイクを果たしたHYは、ロックとR&BとHIPHOPの絶妙にミックスしたミクスチャー系の楽曲を創造しし、好きな音楽を思いっきりやり通す芯の強さがいいです。
メロディセンスは抜群のバンドです。

2001年にミニアルバム「Departure」でデビュー。
当初は沖縄限定発売だったが、沖縄での人気からCDが全国発売に至ります。

2003年、2枚目となるアルバム『Street Story』をリリースします。
インディーズでは異例の4週連続オリコンチャート1位を記録しています。

2004年に発売された3枚目のアルバム「TRUNK」も前作に続いてオリコンチャートで1位を獲得しました。
これらの記録はインディーズとしては史上初の記録となってます。
また、リンキン・パークの来日公演のオープニングアクトを務めた他、初のホールツアー「ITTA SOMUN'04 TOUR 〜そこにあるべきもの〜」を開催することになりました。
その後「HY 2006 KUMAKARA AMAE TOUR」を開催、2007年3月には、カナダ・アメリカツアーも決行されます。
2008年4月、5枚目のアルバム『HeartY』をリリースしています。

HYマイスペース公式ページ
http://www.myspace.com/hymode

かりゆし58

メンバー

前川 真悟(まえかわしんご)1981年7月13日 ボーカル/ベース

新屋 行裕(しんや ゆきひろ)1981年8月18日 ギター

宮平 直樹(みやひら なおき)1982年2月26日 ギター

中村 洋貴(なかむら ひろき)1981年8月2日 ドラム

ROCK-G 1973年7月7日 マネージャー


沖縄では他のアーティストの曲を抑えて4週連続1位を記録しています
アンマーがあまりの快進撃ぶりなんで、23日から全国で発売される事になったそうです。
あっ!アンマーって曲名ですよ。


演奏しているのは『かりゆし58』っていうバンドです。
最近の音楽業界は曲名とバンド名(アーティスト名)がどっちかわからない事が多いです。
今回紹介しているのは、『かりゆし58』というバンドの『アンマー』って曲です。
今ノリにノッてるアンマーですが、かりゆし58が初めて発売したシングルで、「アンマー」とは沖縄の言葉で「母親」という意味だそうです。

エピソード

中学中退(中学って中退できるのね)した前川真悟は札付きのワルだったそうで、いろいろやんちゃをしていたらしいですが、「必ずやさしい目で見守ってくれていた」母親に伝えたかった思いを曲にしたということです。
親殺しや幼児虐待のニュースが多いなかで、実に心温まるエピソードです。


かりゆし58の紹介をちょこっとしますと、沖縄出身の高校時代からの友人で結成された3人組のバンドです。
「かりゆし」というのは沖縄の言葉で「とてもめでたい」という意味だそうです。
これに、沖縄のメインストリートの国道58号線から58をとって「かりゆし58」というのがバンド名の由来になっています。
沖縄って音楽に熱いとこなのかもしれませんね。
と思いつつ、知念里奈の行方が気になる今日この頃です。

MONGOL800

「MONGOL800」は、沖縄県出身のスリーピース・ロックバンドです。
バンドの愛称は「モンパチ」です。
●メンバー
「上江洌 清作(うえず きよさく/ボーカル、ベース)」
「儀間 崇(ぎま たかし/エレキギター)」
「髙里 悟(たかざと さとし/ドラム)」の3人で構成しています。

メロディック・ハードコアと呼ばれるパンク・サウンドで人気を集めているグループであり、インディーズバンドとして史上初としなるオリコンアルバムチャート1位、ミリオンセラー記録を樹立しています。
2002年前後に高校生などの若い世代を中心にモンパチブームを巻き起こし、カラオケの上位をランキングにも長期間ランクインしていました。


全国的な知名度を獲得した後も、沖縄の音楽事務所「ハイ・ウェーブ」から、メジャー事務所に移籍せずに音楽活動を続けています。また、発表楽曲の中には琉球をテーマにしている作品も多く、独特の世界観を作りあげていることで知られています。MONGOL800の楽曲の中で特に人気の高い作品(名曲)に、「あなたに」「小さな恋のうた」「矛盾の上に咲く花」「琉球愛歌」「夢叶う」などがあります。

モンパチの音楽

デビューより20周年を記念して発売されたユニコーンのトリビュートアルバム『ユニコーントリビュート』(略して『ユニトリ』)収録曲です。ユニコーンの代表曲中の代表曲です。

 カバーするのは沖縄出身の3ピース・メロディックパンクバンド、モンゴル800です。
原曲のイントロの印象的なギターリフがほぼそのまま沖縄民謡みたいな音階になってて、さらにイヤ・サッサーっていうお囃子まで入ってきて、おきなわーな感じになってます。


歌詞の「君がカンイチ 僕はジュリエット」の「君」が「ヤー」、「僕」が「ワー」と沖縄の方言になっているとこも要チェック!!てか、この曲がメロコアなノリに意外と合うことにビックリですね。

 なんかMONGOL800とユニコーンってつながりにイメージ湧かないけど、モンパチってバンドブームに青春時代をすごした世代なんですかね。
そういや先日、フジテレビの『僕らの音楽』でサンボマスターを含めて、モンパチと奥田民生で対談してました。
なんとそのときがモンパチの民放初出演で、相手が民生だから出たとのことです。その番組でモンパチと民生のセッションがあって民生が沖縄のエイサーの格好をしてギターを弾いてましたね。

●バンドメンバー
1975年〜1978年
ジョージ紫(キーボード)
宮永英一(ドラム、ボーカル)
城間正男(ボーカル)
城間俊雄(ベース)
下地行男(ギター)
比嘉清正(ギター)


2000年から
ジョージ紫(キーボード)
宮永英一(ボーカル)
RAY(ベース(ジョージ紫の長男))
LEON(ドラム(ジョージ紫の次男))
佐藤圭一(ギター)


2007年から現在
ジョージ紫(キーボード)
JJ(ボーカル)
比嘉清正(ギター)
下地行男(ギター)
宮永英一(ドラム)
Chris(ベース) 

「沖縄に凄いロック・バンドがいる」という話題が当時の業界やファンの間で語られるようになったのは、1974年頃のことだったんじゃないかと思います。その紫が「日本本土」のロック・ファンの前に姿を晒したのは1975年夏、「8.8 Rock Day」に出演したときでした。彼らの演奏は大きな話題を集め、その存在がますます騒がれ始めたという経緯だった気がします。

紫の方向性

デビュー・アルバムはその年の秋頃に録音され、翌1976年になって発売されています。
ジョージ紫が司会者のインタビューに応えて、「ディープ・パープルの音楽に心酔している」といった旨のことを語っていたような記憶があります。その時点ではまだデビュー・アルバムが完成していなかったのか、その番組の中でオンエアされた紫の演奏はライヴ音源でした。


「Double Dealing Woman」と「Do What You Want」、そしてディープ・パープルのカヴァー「Highway Star」の3曲がラジオで流されました。その時が紫の演奏を初めて聞いた瞬間でした。
紫の演奏を耳にした日本のロック・ファンの多くは、彼らの演奏の中に「本場の凄み」とでもいうようなものを感じとったに違いありません。


ごく少数だが海外で認められたバンドや英米のシーンでの経験を得たミュージシャンもあったが、日本ロック・シーンの総体は本場である英米の空気を知らぬまま、本場の空気を知らぬ聴衆に向かって「ロック」を演奏していました。
紫が沖縄で相手にしていたのは若いアメリカ人兵士たち、まさに「本場の」聴衆でした。


模倣だとかオリジナリティだとか、そんなことよりまず、当時の紫が抱えた命題はロック・バンドとしてのパフォーマンスの実力を鍛え上げ、目の前の聴衆を熱狂させるだけの歌と演奏を披露してみせることでした。
デビューした紫は、日本ロック・シーンで圧倒的な存在感を放ってロック・ファンの支持を受け、それによって沖縄のロック・シーン全体が脚光を浴び、「オキナワン・ロック」という造語まで生むことになります。

ネーネーズ

ネーネーズは、第1期 、第2期、第3期と何回かメンバーチェンジを繰り返していて、主なメンバーとして
第1期
古謝美佐子
吉田康子
宮里奈美子
比屋根幸乃
當眞江里子


第2期
小山良子
伊計季代花
宮城江利奈
平田桂子
伊計安寿花


第3期
上原渚
比嘉真優子
仲本真紀
保良光美
比嘉綾乃
金城泉
與那覇歩

1990年夏、沖縄音楽界のリーダーだった知名定男(ちなさだお)のもとに沖縄ポップスブームを巻き起こした「ネーネーズ」は結成されました。「ネーネー」とはウチナーグチ(沖縄口=沖縄の言葉)で「おねえさん」のことです。
それぞれが島唄の名手だったという古謝美佐子、吉田康子、宮里奈美子、比屋根幸乃の4人を知名定男がプロデュースする形で結成されました。

活動

沖縄の海と空を想像させる透明感のある四人の声が重なり、なんとも言えない音の温かみ深みをも醸し出します。
インディーズ・ヒットとなったデビュー・アルバム「IKAWU」以後、数多くの沖縄ファンを開拓し、日本もアメリカもカリブも、 みんな飲み込んでチャンプルーにしてしまうネーネーズ・サウンドのキャパシティのすごさは特筆すべきものがあります。


知名定男(ちなさだお)は、現代沖縄民謡界の重鎮•喜納昌吉、りんけんバンドの照屋林賢と並ぶ、現代沖縄大衆音楽のリーダーでした。90年代以降、ネーネーズの実質的なリーダーとしても活躍し、95年に再開された「琉球フェスティバル」でも総合プロデューサーを務めました。


2作目『ユンタ』(92年)よりメジャーに移籍
本拠地の沖縄県宜野湾市の民謡酒場「島唄」での地道な活動はもとより、国内外で多くのライヴをこなし、 94年には初のヨーロッパ公演も実現
95年末に惜しむらくも古謝が抜け、翌年、當眞江里子が加入
そして99年11月14日、渋谷公会堂での「さよならコンサート」で惜しまれつつ解散

そのときの模様は「オキナワ~メモリアル・ネーネーズ~」に収められています。

ORANGE RANGE

メンバー
HIROKI(ヒロキ、中音ボーカル)
YAMATO(ヤマト、 高音ボーカル)
NAOTO(ナオト、 Guitar、Chorus、Composer、Programing、Other Instruments(リーダー))
YOH(ヨウ、 Bass)
RYO(リョウ、低音ボーカル)

紅白初出場が決まった沖縄県出身ロックバンド、ORANGE RANGEの2枚目のアルバムmusiQ(ムジーク)は1日リリースされ、初日で100万枚を突破しました。ヒットチャートのオリコンのデイリーアルバムチャートでも、初登場1位を記録しました。10月に発売されたシングルの「花」も90万枚突破、年内にミリオンセラーになりました。


携帯電話の音楽配信サービス「着うた」では、史上初の通算150万ダウンロードを突破し、映画「いま、会いにゆきます」の主題歌にもなりました。
オレンジレンジが発売したシングル曲「ミチシルベ」「ロコローション」「チェスト」「花」のすべてが首位を獲得しています。

沖縄の米軍・嘉手納基地近くの「コザ」に在住する平均年齢22歳の5人組みロックバンドです。
幼稚園からの同級生とYOHの弟で後輩のRYOで現在のメンバー構成となったのは2001年3月のことです。
インディーズの頃は、地元沖縄を中心にストリートライブなど数多くのライブを行い、着実に動員を増やし話題騒然となった所でメジャー・デビューのきっかけを作っています。

デビューからその後

「キリキリマイ」でメジャーデビューを果たし、2003年7月にリリースした2ndシングル「上海ハニー」では、その楽曲をマスコミに評価され、Qリーグという九州地区限定のFMラジオ局のパワープレイを獲得しました。
ノンタイアップにも関わらずブレイクのきっかけとなった作品です。


2004年に「ミチシルベ~a road home~」にてめでたく初のオリコンシングルチャート初登場1位になりました。
13thシングルの「チャンピオーネ」まで、9作連続オリコンシングルチャート連続1位を獲得するなど、爆発的にヒット作を生み出しました。


今までに、シングル16作・アルバム4作・リミックスアルバム1作・DVD4作をリリースし、CDが不況と言われる時代に突入した2000年以降にデビューしたアーティストの中では断トツの売り上げを残す、言わずと知れたモンスターバンドと呼ばれるようになりました。


さらに2005年、第19回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーの受賞や、同年5月に行われたMTV Video Music Awards Japan 2005では、3冠を達成し賞を総なめにしました。
またインディーズ時代より精力的に行っているライブでも定評があります。


アルバム「ORANGE RANGE」を引っ提げての全国アリーナツアーORANGE RANGE LIVE TOUR を全国4ヶ所8公演を行い、その総動員数は約10万人にも及んでいます。
全会場のライブチケットも即日ソールドアウトするなど、今ではライブもプレミアライブとなっています。

多和田えみ

1月から2月にかけて全国6ヶ所を回った多和田えみの全国ツアー『SINGS OF SOULS live 2010』。
新曲「Lovely Day」も披露されたこの日のライブは、「歌うこと」に熱い情熱を捧げ、音楽への感謝を溢れんばかり伝えきる、多和田えみの思うソウルミュージックの形が見事に表現された、スペシャルな一夜でした。


 1stフルアルバム「SINGS」収録曲をメインに、カバー曲も織り交ぜられたセットリストで展開していきます。
Al Greenのカバー曲「Let's Stay Together」で幕を開け、立て続けに「Baby Come Close To Me」を歌い終えた多和田えみは、最初のMCの途中でステージを降り、なんとフロアにいる観客たち1人1人と、熱いハイタッチを交わしながらゆっくりと客席を一回りしてくれました。


当日はバレンタインデーだったということもあり、序盤からうれしいサプライズでした。
「私の好きな曲をスウィートにお届けしたいと思います」と、マイケル・ジャクソン「Rock with You」、RCサクセション「夜の散歩をしないかね」を、歌い上げ、「清志郎さんもマイケルも伝えてくれたように、音楽は多くの人をつなげてくれる。そんな音楽の大きな力を感じながら、良かったらみんなも一緒に歌いましょう」と、音楽への感謝の気持ちを素直に語りました。

ライブ

音楽を通して心と心が触れ合うような、魂が通うような、そんなライブを展開しました。
また、「時の空」「涙ノ音」とじっくり聴かせるバラードで会場のテンションをぐぐっとステージに引き寄せながら、聴く者の涙を誘い、本編ラストとなる「CAN'T REACH」で、彼女にしか表現できない音楽へのたっぷりの愛情を注いだソウルミュージックを響かせてくれました。


アンコールでは、3月24日にリリースされる新曲「Lovely Day」をいち早くライブで届けてくれました。
聴き終わった後の何とも言えない優しい気持ちが、うまく言葉にできないあの感じこそが、一番確かな答えなんだと強くそう思います。




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