沖縄市とは

沖縄市は二つの名前を持つ街なのです。もうひとつの名前は「ゴザ」です。

別名ゴザが生まれた背景には第二次世界大戦後、1945年の9月15日にアメリカ軍が指令により「胡差市(コザ)」となったのが始まりです。

このような背景もあって米軍相手の商業を中心に発展して、1956年の7月に「コザ市」となりました。

この街に来れば分かると思いますが、とっても異国情緒あふれる街なのです。

その理由としてはアジアとアメリカが混在する街だからです。

空港通り(旧ゲート2ストリート)では、アメリカから入ったロックが沖縄音楽と融合して新しい音楽が発展したこともあって、音楽関係のショップが多く軒を連ねています。

夏の風物詩としてオキナワンロックの祭典「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」が開かれています。

エイサーの街

観光スポットとしては沖縄を代表する観光名所「東南植物楽園」があるほか、「プラザハウスショッピングセンター」「中央パークアベニ ュー」、「空港通り」といったショッピングゾーンがあります。

特に沖縄市を代表するイベント「全島エイサー祭り」では沖縄全土から集まるエイサーたちの踊りをみることができます。

沖縄市のBAR

沖縄市のBARをご紹介します。

庵 to 天 高原店

夜景を見ながら沖縄の夜を楽しむことが出来るBARです。

店内はテーブル席、掘りごたつ席、カウンターと仕切られています。アルコール類豊富にあります。

住所:沖縄県沖縄市高原3-7-5 電話番号:050-5798-3491

集(Shoo) 高原店

泡盛をはじめ焼酎、ウィスキー、ワインセラーはしっかりと温度管理されているので美味しいお酒を飲みながら大切な人とのひと時を過ごすことができるBARです。

夜景が見えるテーブル席が人気です。

住所:沖縄県沖縄市高原3-7-5 B1 電話番号:050-5798-3488

色のあるお店

Cafe LOLLIPOP

店内にはDJブースも設置されており、最新の音楽シーンを楽しみながらお酒をのめるばかりでなくお食事やスイーツもお勧めです。

住所:沖縄県沖縄市泡瀬2-2-2 仲間AP 1F A号 電話番号:098-939-0669

沖縄市の飲食店

沖縄市の美味しいグルメ・飲食店をご紹介します。

炭火串焼 火然

全国各地から取り寄せた旬の食材を繊細で上品な盛り付けしたメニューが人気のお店です。

ジューシーな食感の串焼やスーチカーやドゥルワカシーといった伝統的な琉球料理がお勧めです。

住所:沖縄市高原3-7-7 2F 電話:098-930-3155

居酒屋バケネコ

5時間でなんと¥3000といったプランが人気でフードは80種類以上のメニューから選べるセレクトコースなので満足度が高い居酒屋さんです。

住所:沖縄市与儀450メゾンS&K与儀A棟1F 電話:098-930-0987

各地から取り寄せた食材を味わえる

諸国のみくい処 紫珊瑚

素材にこだわり、地元泡瀬のうみんちゅから直接買い付けた魚介類は新鮮そのものです。

豊富なドリンクメニューも魅力的です。

住所:沖縄市仲宗根町2-10 電話:098-937-2135

いざかや あわせ

宮崎県のチキン南蛮はおすすめ。泡盛無料飲み放題やオールフード半額といったお得なプランが嬉しいお店です。

住所:沖縄市泡瀬3-12-15 電話:098-934-1446

沖縄全島エイサーまつり

沖縄全島エイサーまつりについてご紹介します。

1956年「コザ市・エイサーコンクール」として「沖縄全島エイサーまつり」は開催されました。

この時期は戦後復興のシンボルでもあったエイサーが盛んに行われることで「エイサーで元気を取り戻そう!」とエイサーコンクールが開催されたのが始まりです。

第1回大会は9団体が出場して3万人の観衆を集めたのです。

審査基準は、隊形や技、構成人数、衣装が審査されますが、青年達が工夫を凝らすことで現代エイサーの衣装やまつりでの隊形作りの原型になったのです。

平等なエイサー

しかし、エイサーに優劣の差をつけることに不満を露わにする青年が多くなったことを受けてコンクールは廃止されました。

第22回(1977年)からは「沖縄全島エイサーまつり」として開催されたのです。

今では3日間で延べ30万人の観客を集める沖縄県最大のイベントとなったのです。

歴史

沖縄県の歴史をご紹介します。

沖縄県はもともと琉球と呼ばれていた国でした。

この琉球は首里城を中心にした国で、日本だけでなく中国やアジアと関係を結んで、色々な品物の売買や文化交流を行っていました。

この時代の琉球には日本人だけでなく色々な国の外国人が大勢住んでいたといわれています。

この時代を大交易時代と呼んでおり、琉球では「レキオ」と呼んでいます。

1609年には日本ではちょうど江戸幕府が始まったころに、いまの鹿児島県の薩摩藩からの侵攻を受けたことで日本文化の影響を強く受けたのですが、そのこともあって特殊な文化が形成されました。

琉球から沖縄へ

明治時代になると450年間続いた琉球王国は消滅して沖縄県となりました。

しかし、沖縄県となってから悲劇が始まりました。

太平洋戦争ではアメリカ軍が沖縄に上陸したこともあって沖縄に住んでいた人々約10万人の方々が亡くなりました。

戦争が終わっても沖縄はアメリカの統治下にありましたが、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰したのです。

コザの街

沖縄本島のまん中あたりにコザという街があります。

今では隣の村と合併して沖縄市になりましたが、かつては日本で唯一のカタカナ名の市=「コザ市」でした。

戦前のコザは越来村という、何の変哲もない農村でしたが、戦後アメリカ軍の統治の下で「基地の街」として一躍発展した都市です。

ベトナム帰りの米軍兵があふれていた頃のコザは、半ば風俗店と化した飲食店が密集し、それは「白人街」「黒人街」と地元沖縄の人たち向けの「社交街」の3つに、はっきりと分れていました。

今でも「社交街」はほとんどそのまま残り、「白人街」は観光客向けのしゃれた商店街に変身しましたが、「黒人街」はすっかり寂れて、かつての面影はまったくありません。

でも裏通りを歩けば、ここが黒人街であった頃の「痕跡」を発見することができます。

表通りはフツーの商店街になっていて、郊外型のスーパーや大型書店も進出してます。

わずかに残ったバーも、地元の人向けの「民謡スナック」になっていました。

夜になれば三線の音が賑やかに鳴り響く店なんでしょうね。

当時は黒人が「白人街」を歩いたり、白人が「黒人街」を歩けば、すぐ袋叩きに遭いました。

地元の「琉球警察」ではどうすることもできず、白人兵と黒人兵でコンビを組んだMP(憲兵隊)がパトロールしていましたが、それでも暴力事件は絶えず、シルー(白人)とクルー(黒人)とのケンカのとばっちりで放火された家もありました。

白人から「ブッシュ」とあだ名されたこの街も、今ではすっかり静かな住宅街に変わり、黒人の姿はありません。

当時は沖縄の人件費は安かったので、アメリカ本国へ戻る途中にここでスーツを仕立てて行く黒人兵も多かったんでしょうね。

60年代にアメリカ本国で「ブラックパワー」が高揚した頃には、沖縄でも「黒人解放」のデモが行われたようです。

米軍基地は今でもコザの中央に残っていますが、白、黒、黄色が入り乱れての殺伐とした乱闘は過去の話となりました。

今の沖縄市

「島唄」と呼ばれる沖縄民謡が暮らしの中にしっかりと根づいています。

沖縄市は古くから島唄の盛んなところです。

戦後、そこにダイレクトに飛び込んで来たのがアメリカンポップスでした。

若者達は、島唄とアメリカンポップスを聞きながら育ち、オキナワンロックを誕生させました。

さらに、それは独特のサウンドをもつオキナワンポップスへと発展していきます。その発信地となったのが沖縄市です。

島唄の音階を生かし、ロックやラテン、ブルースなどの西洋音楽を思い思いにミックスさせたオキナワンポップスは、今、沖縄から日本本土へ、日本からアジアへ、そして世界に飛び出しています。

島唄、ハードロック、ブルース、レゲエ…沖縄市の夜は、さまざまな音楽にあふれています。

民謡クラブでは、島唄の第一人者が自慢の喉を披露し、ロックのライブハウスでは、若いミュージシャンたちが激しいリズムを刻み夜ごと若者達を熱狂させています。

沖縄市の音楽

沖縄の音楽をご紹介します。

琉球王府のなかで確立された宮廷音楽は、中国から三線が伝来した16世紀に王府で『おもろさうし』が編纂され八八八六型の琉歌が誕生したことが沖縄の音楽である宮廷音楽の始まりとされています。

宮廷音楽は江戸上りや冊封使の歓待のために演奏された歴史的事実があります。

代表曲に『四大景』があり、これは琉球王朝のいにしえの詩を優雅な音色で表現しています。

その一方、首里城という宮廷で始まった宮廷音楽以外にも、「民よう」も同時期に始まりました。

沖縄の民ようの音階は別名「琉球音階」とも呼ばれており、一般的な音階として「ドミファソシド」という5音音階(ペンタトニック)になっているのが特徴です。

アジアで広がる音楽

ちなみにこの5音音階は沖縄以外にはインドネシア(ガムランのペロッグ調)や中国の雲南省、ヒマラヤ南麓のブータンでも使われている音階なのです。

沖縄で一番親しまれている楽器に「三線」がありますが、これは中国から14~15世紀ごろに伝わった楽器で、東南アジア(ミャンマー)のニシキヘビの皮が使われていることが特徴的です。

夜遊びスポット

沖縄の夜遊びスポットをご紹介します。

まず、沖縄の夜の遊びの繁華街といえばアメリカ文化が色濃くのこるゴザの街です。

沖縄市の中心部であり、米軍基地が近くにあるということで、多くの観光客や市民、そして外国人が多く繁華街に遊びに来ています。

このゴザの街にはメインストリートの通称「ゲート通り」があり、そこには日本とは思えないような異国の雰囲気漂う飲食店やショップ、ライブハウスなどが立ち並んでいます。

特に若者が集まる場所にはアメリカから持ち込まれた音楽と沖縄の音楽が融合したオキナワン・ロックという新しいジャンルを生み出した場所もあることから音楽関連のショップがなんと200店舗もあるのです。

エイサーの盛んな街

また、エイサーも盛んな街で全島エイサーのシーズンになるとすごい盛り上がりを見せる街なのです。

「コザ銀天街まつり」は昔ながらの商店街で日用品店や食料品店が多いことから地元市民の台所的な存在となっております。

沖縄市の宿

沖縄市の宿泊先をご紹介します。

ホテル名:ホテルニューセンチュリー

住所:〒904-0021 沖縄市胡屋2-1-43 電話番号:098-933-5599

駐車場:有・50台 料金:シングル6,400円~、ツイン10,000円~、トリプル14,000円~

特徴:コザの中心にあるホテルで沖縄市の夜遊びのスポットに全て徒歩圏内の好立地です。

ホテル名:サンライズ観光ホテル

住所:〒904-0021 沖縄市胡屋2-1-46 電話番号:098-933-0171

駐車場:有・22台 料金:シングル5,500円、ダブル8,000円、ツイン10,000円(シングルユースは、6,500円)、トリプル12,000円

特徴:レストランのお昼バイキングは好評です。

好みで選ぶ沖縄市ホテル

ホテル名:クラウンホテル

電話番号:098-933-2551

駐車場:有・30台 料金:シングル6,615円(税込)より、ツイン5,565円(1名当/税込)トリプル:3,815円1名当/税込)

特徴:満足なサービスによりリピーターが多いホテルです。

エイサーとは

エイサーとは分かりやすくいえば日本の本土の盆踊りのようなもので沖縄のエイサーも旧盆に行われる行事です。

盆踊りと同じように、祖先の供養をすると共に、無病息災・家内安全を祈願する行事なのです。

しかし、沖縄のエイサーには種類があります。

まず大太鼓、締め太鼓を中心とした「太鼓エイサー」がありますが、これは沖縄県中部で最も行われているエイサーです。

一方、太鼓を使わない「手踊りのみのエイサー」では本島北部を中心に行われているエイサーの原型といわれています。

もともとエイサーは仏典を踊りながら唱える”念仏踊り”が沖縄独自の仏典踊りの形態であるエイサーへと発展したのが始まりといわれています。

沖縄最大の祭り

エイサーが行われる旧盆の翌週末には沖縄最大の夏祭り「沖縄全島エイサーまつり」が沖縄市で開催されます。

このまつりでは沖縄全土から集まった色々なエイサーを見ることができます。

地域的独自性が色濃く映し出されているエイサー祭りを是非ともいちどみてみたいものですね。




沖縄の炭火ジャンボ焼き鳥「鶏五郎」:沖縄県沖縄市(コザ)の炭火ジャンボ焼き鳥「鶏五郎」全串100円、全フード300円、お得な飲み放題もあります。夕方5時から朝の5時まではりきって営業中。モアイ、パーティ大歓迎です

沖縄の鉄なべ餃子処「餃子五郎」:沖縄の鉄なべ餃子処「餃子五郎」~餃子1人前290円から、お得な飲み放題もあります。夕方5時から朝の4時まではりきって営業中。

沖縄とバーベキューとゲストハウス:毎日BBQをやり、連続記録でギネスに挑戦している宿です!

海の見える宿|今帰仁五邸〜Okinawa Condominium Resort|沖縄の高級コンドミニアム:沖縄の世界遺産「今帰仁城跡」近くに位置する1日1組の高級コンドミニアムです。180度のオーシャンビュー、50畳超のLDKを含め客室総面積133㎡の圧倒的スケールでお客さまをお迎えいたします。美ら海水族館、古宇利島へのアクセスも最高です。